まばたきの永遠 第七話

「そんなことよりもさ」甘い沈黙に耐え切れず、私は強引に話を変えた。「紋太が小説を書くのやめたって」「うん。知ってる」黒斗は空になったコップを持って、そっと立ち上がると、キッチンへ向かった。「なんでやめたか本人からきいた?」彼の背中を目で追いながら、きいてみる。黒斗は冷蔵庫から麦茶を取り出すと、コップへなみなみついだ。「詳しくはきいてないよ。だって、きいてもなにも変わらないだろうし、紋太のことだよ。きっと悩んで決めたんだろうしね」「うん。そうだよね」と、うつむきかけてから、「あ。そういえば」私は思い出したように再び顔をあげた。「黒斗は音楽続けているらしいね。夜はよく歌を歌いに行ってるんでしょう」「うん。歌ってる。いつもギター片手に公園に行ってるんだよ。夜の公園はいいよ。民家も少ないし、音はすんでいるし」麦茶を片手に戻ってくると、黒斗はさっきと同じ位置に腰掛けた。「僕もね、紋太が小説を書くのをやめてしまったのを知ったのは最近のことなんだ。だから、なにも知らないで新曲をたくさんMDに録音して持ってきちゃった」インスピレーションの手助けになればと思ったんだけどね、と付け足すと、彼は冬日のような笑顔を見せた。寂しい笑みだった。「紬もデザインの専門学校。がんばっているね」「うん。もうすぐ卒業だけど。就職活動なにもしてないや」ひとごとのように言って、私は笑った。黒斗との雑談を終え、部屋へ戻ってきた頃には、すでに十二時を回っていた。なんだかすっかり目が覚めてしまい、私はベッドのうえで両膝を抱く格好のまま、しばらくぼんやりとした。電気をつけていなくても、月明かりが開けっ放しになった窓から差し込んでいたので、十分明るかった。お酒がまだ残っているのか、視界に映るものすべての輪郭がにじんで、いつもより世界が輝いて見えた。そして、ふと薄闇の中に音楽が浮かんでいることに気が付いた。
もたれかかった壁の向こう側から、かすかだけどきこえてくる。懐かしい。私の知っている曲だ。
紋太もまだ起きているんだな、と思いながら、私はそのゆったりと流れるピアノの旋律に耳をすました。そういえば、紋太はこの曲が好きでよく聴いていた。小説家を目指していた、あの頃から、ずっと。思い出したとたん、なんだか泣けてきて、私はうなだれた。昔から好きだった音楽は、今もそのまま好きで、あっさりとした口調も、光るようなまなざしも、なにもかもが紋太のまま全然変わっていない。それなのに、どうして彼は夢を諦めたりしたのだろう。よりにもよって、何故その部分だけ欠けてしまったのだろう。小説は、紋太にとって核みたいなものだ、と私はずっと思っていたのに。
               続く