Close or Not 三章

翌日、朝のニュースで犯人逮捕をアナウンサーが淡々とした口調で伝えていた。彼女を殺害したのは、僕の知っている人物だった。 僕はテレビをつけっ放しにしながら、さっさと服に着替えて冷蔵庫から作りおきの朝食を取り出して簡単に済ませた。靴を履き、ドアを開けて出て行くまで、テレビは同じニュースを何度も伝えていた。アパートの外では、ものすごい人の数が例の公園を囲んでいた。あの場所は、これからも公園としてやっていけるのだろうか。続けたとしても、多分それは、普通の公園では無くなってしまうだろう。コートについたフードを深くかぶって、人だかりを足早に通りすぎると、僕は角を曲がった所で走りだした。待ち合わせを、うちの大学にしておいてよかった、と思う。公園なんかにしていたら、きっとこの騒ぎに巻き込まれていた。車なんて気の利いたものはもっていなかったし、タクシーを利用する金も貧乏学生には惜しい。全速力で走り、大学の階段を二段とばしで駆け上がって、教場の入り口までくると人の気配を感じた。
日曜の早い時間など、学生はほとんどいない。僕は教場へ踏み込み、窓際にその人が座っていることを確認した。コートを着込んだ、長い髪の女性。彼女は、つい最近までここの生徒だった。
「待ったかい」一歩、彼女へ近づく度に僕のブーツの音が、天井まで響く。僕に背中を向けたまま椅子に座る彼女は、今きたところ、と答えた。「犯人、捕まったらしいね」教壇の一段高くなった所に立ち、僕は続けた。「僕の知っている人だったよ」ぴくん、と彼女の肩が動くのを僕は見逃さなかった。「朝にさ、よく挨拶をする人だった。ゴミを捨てるついでにね。とても明るい人で、何度か立ち話もしたくらいだ。もちろん、僕がそう言うのが苦手だということは、君もよく知っていると思うけれど」「・・・」「そんな人が何故、あそこまで常識から逸脱した犯行を行ったのかまでは分からない。だけど、多分僕は誰よりも先にこの事件の行き着く先を見つけたんじゃないか、と思っているんだ」そこまで言っても、彼女はこっちを振り向いてはくれなかった。ただ黙したまま、閉じた窓に体を向けていた。外の雪景色なんて、見えているはずがないのに。
「はじめは僕も気が付かなかったんだ。しばらくは騙されていた。昨夜、君に電話をした時も実は半信半疑だった」「・・・きっかけは、何だったの?」ようやく口を開いた彼女の声は、何かに耐えるように小さく震えていた。「一つは、財布だよ。君が使っていた財布は特殊なもので、君も知っているだろうけれど、あれは左利き用のものだった。それを君は、本当の利き腕である右で使っていた。持ちかえることもなく、ね。これが一つ目。もう一つは・・・」「缶コーヒーね」
「・・・そう。僕が放った缶コーヒーを、君は右手で取った。とっさのことだったから、なんて言う言い訳は、必要ないね。何故なら、とっさであるなら、怪我をしている右手を使うなんてなおさらおかしなことだから」「・・・・・」「警察だってばかじゃない。この事件の犠牲者が別人であることは、近いうちに気が付くさ。例え君たちが一卵性双生児であっても。きっと、殺害されたのは本当は妹の美里であって、生き残ったのは姉であると、世間は知るだろう。君は、死んではいなかったんだな」 「・・・・・」「裡里」そこで言葉を区切ると、沈黙が降りた。近くで、女の子の笑い声が聞こえた。ゼミか何かで登校してきたのだろうか。重い沈黙を破ったのは、彼女だった。「美里は、優しい子だった。姉の私と違って、よく笑い、友達も多く両親にも優しい。よく似た姉妹なのに、同じなのは外見だけで中身は全く似ていなかった。あの子は私が帰るとね、いつだって夕食を一緒に取ったわ。自分が先にすませてしまった時でも、一緒にいてくれた。正直言ってそういうことが、とても面倒臭い時もあったけれど」神様は不公平よね。はなをすすりあげる音が、聞こえた。「あんなにいい子が何故、どういう理由があって殺されなくちゃいけないの?人に憎まれることも、きっとなかったでしょう。どうしてあんな殺され方をして・・・。だからあの子の死を知ってから、とっさに思いついたのが入れ替わることだった。幸い私たちは見た目は同じで、あの日も服装は同じだった。持ち物は抜き取られいたらしいから、彼女が美里である証拠はなくなっていた」「何故、入れ替わる必要があったんだい」一瞬、裡里が言葉に詰まり、ため息を吐き出すように、「分からないの?」と言った。「私が死ぬ分には、きっと誰も困らない。だけど妹の美里が死んでしまったら、あの子の友達も、それに私たちの両親だって深く悲しむに決まっているわ。だから私は、美里がこの世を去った瞬間から彼女の人生を引き継ごうと思ったのよ」「本当に、そう思っているのかい」「・・・」「君が死んでも、誰も悲しまないと?」「君が死んだと分かった時、君のご両親はどんな面持ちだった?」「・・・」最後まで、裡里が僕に背中を向けたままだった理由がその時になってようやく理解出来た。僕はコートのポケットへ両手を突っ込むと壇上から静かに降り、立ち止まった。「美里ちゃんの人生は彼女のものだ。君の人生は、志摩裡里として生きて行くしかないんだ」かすかに、はなをすする音が耳に入った。廊下へ出て後ろ手にドアを閉めようとすると、教場の隅の方から、すすり泣く裡里の声がかすかに聞こえた。

                     完