勘違いしないで欲しい。なにも私はあなたを嫌いになったんじゃない。その逆なんだ。私がこの場所から離れられるのは、そこにいつだってあなたがいてくれると知っているから。あなたに目指したいものがあるように、私にだって目指すものがある。私はここにい…

いたるところから、すすり泣きが聞こえる。僕は黒服の群集の中、ぽつんとただ立ち尽くしていた。 「逝っちゃったね」 よほど放心していたんだろう。声をかけられてから初めて彼女が隣りにいることに気がついた。「泣いて当然だよ」 彼女は言った。 「親友が…

あと一歩前へ出れば、僕はこのビルから落下する。背後のフェンスみたいに、この恐怖心を乗り越えれば僕はもう何も失わなくてすむのだ。 生きている限り必ず訪れる愛する人たちとの決別を迎えなくてもいい。僕は、もう誰も失いたくなかった。誰一人の死に顔も…

「美しい桜というのは、根の下に埋まる死体の血を吸い上げているかららしいね」 私がくすくす笑いながら言うと、妹はうんざりしたように首を振った。縁側から庭を眺めながらのことだ。 「お姉ちゃんは、そういうことばっかし言うんだから。お母さんがいなく…

サクラヒラリ君ヲ想ウ。 冬があけると、そう歌っていた彼女の横顔を思い出す。横たわった川を抱くように、ゆっくりと弧を描いて伸びる散歩道に沿って桜が並ぶ。すでにしどけないまでになったそれを見上げながら、僕は隣りにいるはずのない君を感じた。 そっ…

「不倫なんて、ほんと信じられない」 咲子は携帯に向かって憤然と言い放った。 「いい？聖美。家族のいる人を好きになったって未来はないわ」 さっさと別れなさい、と言った所で家のチャイムが鳴り、咲子はベッドから腰を浮かす。 「ごめん。彼が来たみたい…