2006-05-01から1ヶ月間の記事一覧

コール

散歩に行ってくる、と家族に言い残して外へ出る。コンビニまでは行かず近くの自販機でホットコーヒーを買う。ジーンズのポケットから携帯を取り出すと、アドレス帳から彼女の名前を選び出した。コールしようか迷った挙句、僕は渋々それをポケットへ戻した。…

桜ノ木ノ下デ歌ウ

既にしどけないまでに咲き誇る桜並木を愛犬と共に歩く。ふと犬が立ち止まり辺りに視線を巡らせる。何か聞こえるのだろうか。周囲に人影はない。再び歩き始めた時、今度は僕が足を止める。ほんの一瞬耳元をかすめた若い女の歌声。囁きにも似た吐息混じりの歌…

Close or Not 三章

翌日、朝のニュースで犯人逮捕をアナウンサーが淡々とした口調で伝えていた。彼女を殺害したのは、僕の知っている人物だった。 僕はテレビをつけっ放しにしながら、さっさと服に着替えて冷蔵庫から作りおきの朝食を取り出して簡単に済ませた。靴を履き、ドア…

Close or Not 二章

裡里の葬儀は、ひっそりと行われた。空は仄暗く曇っており、空気は湿り気を帯びていた。昨夜降った雨で雪は消えており、道端の隅っこにだけ泥と交じった塊が、辛うじて残っている程度であった。参列者の姿も少なく、しかも訪れている者たちのほとんどが、見…

Close or Not  一章

死体の匂いを嗅ぎ付ける能力が自分に備わっていることを知ったのは、もう随分と昔の事だ。その異質な力をはっきりと自覚したのが今から十年ほど前、僕が九歳の頃だ。以前から、どす黒く光る内蔵を広げた猫を道端で見たり、玄関先に羽を閉じたまま固くなって…

最後の希望

息子よ。歪んだ俺の視界でもお前の顔はよく見える。俺はきっともうすぐ逝くだろう。こんな体になってから思うのは、父としてお前に何かしてやれたのかということだ。自分でもよくわからない。せめて今の俺がお前にしてやれるのは、死の怖さと生の大切さを伝…

サヨナラ

傾いた太陽が、僕らの足元に影を作る。大きなボストンバックを右手にぶら下げた彼女が新幹線へ乗り込んだところで振り返った。僕を含めた見送りの数人で彼女に別れの言葉を贈る。閉まるドアの向こう側で、彼女はそっと微笑んだ。さよなら。心の中で呟きなが…