まばたきの永遠 第五話

思わず空へ向かって笑いだしたくなるような快晴。絶好の、墓参り日和だ。そんなものがあるのかどうかは知らないけれど、とにかくそれだけ天気がよかった。ゆるやかな螺旋状の坂道をバスでのぼって、見晴らしのいい山頂で降りた。そこは強い風が吹き抜け、そのせいか、この鋭い日差しもたいして気にはならない。私たちは、紋太を先頭に伯父の眠る墓地へ入っていった。平日の午後だからだろうか。辺りに人の姿はなく、息をつめるようにひっそりと静まり返っている。深い眠りのようだ。 迷路みたいな道。墓の間を縫いながら歩いて、ようやく紋太が足を止めて言った。「ここだ」そうか。ここに伯父が眠っているのか。私は、黒光りするお墓を見つめて、そこに元気だった頃の伯父の面影をつい重ねてしまい、ちょっとだけ泣きたくなった。「僕、水汲んでくるね」そう言うと黒斗は、すぐ近くの水道へ歩いていった。私と紋太が残った。隣に立つ彼は、父親のお墓を見下ろしたまま黙っていた。その顔をそっと盗み見る。何とも表現しがたい彼の横顔は、どんな言葉よりも、ずっと多くのことを語っている気がした。いつもは気丈なオーラを、体全体から放ち続けているから気が付かなかったが、考えてみたら、これで彼は独りぼっちになってしまったことになる。幼い頃に母親を亡くした一人っ子の紋太にとって、父親が唯一の肉親だった。例えそれが、仕事一筋で、家に戻らないことも珍しくなかった父親であっても、いるといないとでは全くわけが違う。せめて、いる、という事実さえあれば、それだけでやっていけることもたくさんあったはずだ。「お花。あげようか」静かに私は言った。「よし。あげよう。親父にこんなりっぱな花なんてもったいないけどな」紋太は並びのいい真っ白な歯を見せて笑うと、私から百合を半分受け取って、それを墓石の筒にいけた。その笑顔が完璧であればあるほど、紋太の悲しみの深さを感じてやりきれなかった。残りの百合を、もう一方の筒にいけていると、頭上から黒斗の声がした。「紬。動かないで、お墓に水をかけるから」「うん」そっと、目の前に影が出来て、柄杓を持った黒斗の細い手が伸びてくる。水を浴びた伯父のお墓は、しっとりと濡れ、斜に射す夏の白い光に反射して、きらきらと輝いていた。伯父はきっと、あっちの世界で笑っている。 そんな気がした。

帰りのバス。私たちは寄り道がしたくて、途中で降りた。「あっちに海があるから、見にいこう」
 思い出したように言って、ブザーを鳴らしたのは紋太だった。夕方が近いというのに、浜にはまだたくさんの人影があった。防波堤にそって、ぶらぶらと横に並んで歩いた。足元が熱い。昼間の熱気が、まだアスファルトに残っているのだ。やっぱり海はいいな、と水平線を眺めながら私は思った。潮の香り、波の音、遠くにきこえる人の声、全てが解放されていて慈愛に満ちている。「水着持ってくればよかった」心から悔やんで、私は言った。「買えばいいだろ。せっかくだから今度、朝から海にこよう。泳ごう。たくさん」隣で伸びをしながら、紋太は言った。「そうだね。来週にでも海にこようか。バーベキューなんて楽しいかもしれないよ」黒斗は空を仰ぎながら笑った。そうやって他愛もない話を繰り広げながら、永遠に続いていそうな車どおりの少ない道を、私たちは歩いた。時間の流れというものを最初に思い出したのは、黒斗だった。彼は、防波堤に顔を向けたとたん、潤んだ瞳を細めて言った。「夕焼けだ」見ると、さっきまで白っぽかった空は赤く染まっていた。「きれいだな」立ち止まり、紋太が一言こぼした。私も足を止め、その景色を見つめた。真に迫った美しさ。自然の力はすごい、と思う。言葉なんてひとつも使わず、その表情を変えるだけで、私たちに様々なことを訴えかけてくる。終わりというもののはかなさ、寂しさ、反省、大切さ、そして始まりの匂い、希望。新しい一日と、その日の終わりは、まるで一つの人生みたいに、一滴の水滴のように多くのことを語っているのだ。改めてそう考えたら、なんだか一瞬がとてもいとおしく感じた。波堤の上に、紋太が立った。そこには風があるのだろう。彼の洗いざらしのTシャツや、短い前髪がかすかに揺れている。私もまねをして、よじ登る。下を見ると、高さが結構あったので座ることにした。「絶景だな」ジーンズのポケットに両手を突っ込みながら、紋太が言った。「うん。巨大だね」両足をぶらぶらと投げ出しながら、私は答えた。「こんなにいいものがただで鑑賞出来るなんて、なんだか得した感じ」ふと右隣りへ首をねじ曲げると、ちょうど防波堤に寄りかかっている黒斗と目が合った。全てがオレンジ色の世界の中、彼の白い頬も、紅潮したように淡く染まっていた。どこもかしこも線が細くて、まぶたがくっきりと二重で、柔らかそうで、パッと見は女の人のようだ。彼は、今にも泣き出しそうなおかしな笑顔を作ると、私から水平線へ、ゆっくり視線を移した。やがて、太陽は空と海の間に埋もれ、細くなって消えた。私たちは、無言のまま同じ方角をじっと眺めていた。最後に光が消えた瞬間、なんとなく、線香花火が落ちた時のはかなさを思い出した。

                続く