まばたきの永遠 第十一話

開けっ放しになった窓から顔を突き出すと、前髪や後ろ髪、Tシャツの肩に強い風があたった。潮の香りがする。車道に沿った防波堤を越えたところには横たわった海と砂浜が見渡せた。まるで太陽が砕け散ったように、光が乱反射して、一面が輝いて見える。目を細めながら、その景色に見入っていると、運転席の紋太が半分こっちを振り返って、 「そんなに顔を出してると危ないぞ」と言った。しぶしぶ私は顔を引っ込めた。どうもやりにくいな、と目の前にある紋太の後頭部を見ながら、私は思った。昨日の公園での一件。私のことを好きだと言ってくれた、真剣な紋太の横顔。あの瞬間。ものすごい衝撃だった。一生、忘れられそうにない。きっとこれから先、ことあるごとにあの場面が頭の中に浮かんできては、こんな風に複雑な気持ちになるのだろう。昨夜もそうだった。食事の席、お風呂あがりに廊下ですれ違う時、読んでいた雑誌を交換する時、紋太を少しでも目の当たりにする度に、私の心拍数は一気にはねあがるのだった。いつも通りの自分を意識すればしただけ、彼への態度が演技臭くなって、どうもぎこちない。自分でもそれがよく分かったから、なおさら苛立った。しかし、そうは思っても、やっぱりこればかりはどうしようもないのだった。彼が私を好きだという事実は、同時に私に許しを与えたことになる。手を伸ばすこと、踏み出すことの出来る権利。それまであったはずの壁は取っ払われ、視界は急にひらける。 だけど、それでも私はこれまでと同じように、今まで守ってきた位置をキープし続けなければならない。忘れてはいけない。私たちは他人ではない。親戚。いとこなのだ。それは、そう、例えばこういうことだ。
 灼熱の炎天下、無限に広がる砂漠で旅をする。手持ちの水はない。喉は嗄れ、心身共に潤いに満たされたいと願う。やがて、オアシスを見つける。そしてそれも、逃げることなく、一面にひたひたと広がる。飲める。潤すことを、許される。けれど、その奇跡を受け入れるわけにはいかない。飲んだら、多分、旅は終わる。前へは進めなくなる。なにかが確実に消滅する。だから、はがゆさに身をよじってでも、旅は続けていかなければならない。その大切な、なにかを失わないために。
「もう少しで到着だね」助手席に座っている黒斗が、こっちを振り返りながら言った。私は、うん、と頷く。「朝ごはん抜いてきたから、腹減ったな。やきそばが食べたいよ」ハンドルを握りながら、紋太は言った。駐車場に車を停めると、私たちはトランクから出した荷物を、分担して手に持った。カルガモの引っ越しみたいに縦に並んで車道を横切ると、サンダルをはいた足で、石の階段を降りた。砂浜は、灼けるように熱かった。照り返しが眩しくて、目をちゃんとあけていられない。適当な場所にパラソルをたて、敷物を敷き、そのうえに飲み物とスイカの入ったクールボックスをのせる。さっそく、紋太がTシャツを脱ぎ捨てて、海へと走っていった。「準備運動もしないでいっちゃったよ」呆れながら、私は笑った。Tシャツを脱いで、あらかじめ下に着ていた水着姿になると、黒斗から「似合うよ」とほめ言葉をいただいた。「ありがとう」私はちょっと赤くなった。「黒斗は海に入らないの?」軽く準備運動をしながら、私はきいた。おとなしい柄のアロハシャツと海水パンツ姿の黒斗は、敷物に腰を下ろして、クールボックスからポカリスエットの缶を一本取り出すと、「喉が渇いたから、少しここで休むよ」と笑った。「紬。泳いできなよ」「うん。分かった」黒斗に手を振りながら海へ入ると、私は先に泳いでいた紋太と一緒に沖に見えるテトラポットまで競争したり、潜り比べをしたりした。海の中はどこまでもすんでいて、水面から差し込む光の帯や、水中から見上げる空が夢のように美しかった。ずっと眺めていたい。息をつぐのがもどかしくなるくらい、私は切にそう思った。ひとしきり遊んで、浜へあがると、黒斗がパラソルの下で手を振っているのを見つけた。「あいつ、影の中にいても眩しそうに目を細めているな」
 手を振り返しながら、紋太は笑った。「そうだね」額に張り付いた前髪をかきあげながら、私も笑った。二人の呼吸ははずんでいた。
                   続く