Picture

今さら驚くことじゃない。両親は昔から仲が悪かった。お互いをののしりあい、怪我をするだけの大喧嘩を繰り返してきたのだ。今回の離婚も、むしろなるべくして迎えた結果だ。私は自室で自分の荷物を片付けながら考えていた。私は母に引き取られる。このアパートからは出て行かなければならない。ふと積み上がったガラクタの中に一枚の写真を見つけた。所々折り目がつき色あせている。父も母も若く私は幼い。その中で三人は笑っていた。耐え切れず私は嗚咽をもらした。背中を丸め、声を殺しながらひたすら泣いた。

TAO

一人でいるスタジオはやけに広く感じる。紙コップの珈琲をすすっていると、背中の方で開いたドア彼が入ってくる気配がした。「まだいたのか」驚いた声で彼が言う。「うん。もうこれで終わりなんだなと思うとね」一時間前、私達はラストシングルの収録を終えた。これで私達がバンドとしてやるべきことは何もない。「これからだろ」と彼は言った。「俺たちの道はこれからだ。解散しても俺らは仲間だからな」「うん。ありがと」無理に笑って私はまた珈琲をすする。明日に続く道を見据えながら。

毒針

彼女の恋人は暴力的だ。優しい彼女を殴り、時には心にまで傷を負わせたりする。それでも、男のことが好きなのだと、窓辺にたたずむ僕を見つめながら彼女は言う。僕には、とても理解できない。ある日のこと。偶然、僕の目の前に立っていた男の掌が何かの拍子に僕に触れた。「痛ッ」驚いて手を引っ込めた男は、舌を打ちながら僕を睨んだ。「腐れサボテンが」僕の針に毒があれば。そう思う。一瞬で男を殺せる猛毒があれば。例え彼女を泣かせる結果になっても、僕はそれを切に願う。end

生きる場所

「パパ。ポチ、死んじゃったの?もう逢えないの?」朝早く息を引き取った愛犬の亡骸を撫でながら息子はしゃくりあげるように泣いた。私は息子の頭を撫でながら、そうだよ、と答えた。「でもね、ポチは消えてなくなったわけじゃないんだ」息子が振り返り私の顔を覗き込む。「ポチはね、生きる場所が変わっただけなんだよ。だから、消えたわけじゃない」その時の私の慰めを、息子はどんな気持ちで聞き入れ、どんな形で理解したのだろう。彼はただだだ渡しにしがみつきながら泣いた。やがて泣き止むまで、ひたすら泣き声をあげていた。end

まばたきの永遠 解説

この物語は、約五週間で書き上げた。普段なら半年から一年かかってダラダラ書くのだが、今作に限りどういうわけか筆が進んだ。当時、よしもとばななにはまっていた自分は彼女の作品を浴びるように読んだ。活字を浴びるというのはおかしな言い回しだが、とにかくそれくらい熱中して読んだ、ということだ。中でも「アムリタ」「NP」「つぐみ」「哀しい予感」は何度も読んだ。実を言うと、今作「まばたきの永遠」は「アムリタ」の影響が大きい。どこらへんに影響を?と訊かれても返答に困るが、とにかく大きいものは大きい。断固として大きい。絶対になにが何でも大きい。作者はそう思っている。加えていうと、槙原さんの音楽からも影響を受けている。どの曲かはここでは書かないが、ある曲からこの物語は出来ている。この物語は回想だ。紬がプラットホームに立つところから始まり、やがて始発の電車に乗ってあるべきところへ帰っていく所で幕を下ろす。また、それと同時にこの「まばたきの永遠」こそが、作中で紋太が書きたいといっていた夏の物語であることはいうまでもない。とにかくこの作品を最後まで読んでくれた皆さんにお礼を「ありがとうございました」。話は変わりますが、メルマガも好調でもうすぐ読者が400人になる。嬉しいな。嬉しいな。

まばたきの永遠 エピローグ

ホームへ電車が滑り込み、少し待つと、空気が抜けるような音と共に目の前のドアがひらいた。乗り込むと、中に他の乗客の姿はなく、閑散としていた。うっすらと照らされた明かりの下を歩き、私は適当な席を選んで腰掛けた。隣にボストンバックをのせ、窓へ目を向ける。ほどなくして、外の景色がゆっくりと動き出す。ホームを抜けると視界が一気にひらけ、たんぼの風景が気持ちよく広がった。目覚めにはまだ遠い、霧のかかった幻想的な青の世界。美しい。きっと、窓の外は静寂にすっぽりと包まれているに違いない。その風景には、はっきりとそう思わせる力がある。昨日から一睡もしていないせいだろう。体や頭がおそろしくだるかった。しかし、眠りたい気分ではなかった。この夏の風景を終わりまで見つめて、きちんと脳裏に刻み込み、記憶したかった。黒斗のいた最後の季節を。彼の時間は、止まってしまった。もう二度とは動かない。だけど、私や紋太は生きているから、これからも、目の前を流れていくこの景色のように、あらゆる瞬間を越えていくことだろう。 そして、アルバムのベージも重ねていく。そこに黒斗の姿はないけれど、そんなことはたいした問題ではない、と私は思う。写真は、いつかは色あせる。そこは切り取られた世界だし、音もなければ匂いもない。暑さも寒さも痛みも、なにもない。だけど、実際に同じ空気の中にいた黒斗との思い出は、いつまでもこの胸の中に残る。三人で花火を見ている時、彼が言ったように、体で感じたまるごとの思い出だ。笑ったこと、迷ったこと、恥ずかしかったこと、悲しかったこと、怒ったこと、そんなあらゆる出来事が私の中で体温のようにとどまり、時間と共に発酵し、少しずつ美化されていく。それでいいのだ。きっと。私は隣に置いてあるボストンバックをひざへのせ、チャックをあけた。中には、この夏の思い出の品がたくさん詰め込まれていた。黒斗が買ってくれた、たぬきのお面。彼の残していった楽譜。MD。海に行きたくて、慌てて買った水着。紋太から借りて、結局、途中までしか読めなかった小説。まだまだ、ある。 私は、胸の奥から突き上げてくる熱いものを感じながら、それらを見つめた。
 その時だった。ふと、すみの方にある小さなビニール袋に目がとまった。なんだろう。こんなもの、私は入れた覚えがない。手にとって、目の前まで持ってくると、それがなんであるかはひと目で分かった。ああ、そうか。これは種だ。しかも、ひとつじゃない。様々な種類の種、例えば、ひまわりであったり朝顔であったり、とにかく本当にたくさんの種がそこに入っていた。こんなことをする人なんて、一人しかいない。私は、紋太の強気な顔を思い出した。そしてその種が意味する所へ思い至ったとたん、やられた、と私は思った。最後の最後に、彼はなんといういたずらをしてくれるのだろう。次の瞬間、ものすごい勢いで涙が浮かんできて、私はとっさに顔をあげた。我慢出来なかった。まばたきをする度に、涙は頬を伝い、あごの先からためらいがちに落ちていった。はなの奥が、つんとしびれた。それをやり過ごすように、私は熱い息をゆるゆると吐き出した。そして外がしだいに明るくなっていることに気が付いて、私は窓へ目を向けた。遠くから白々と明けてゆく空の下、風景も目覚めるように自分の色を取り戻していく。涙はとまらず、次々とあふれてきて視界をふさぎ、ぽつり、ぽつり、とこぼれた。どんなに手の甲で拭っても、駄目だった。目に映るもの全てが一緒くたになり、やがて、私の瞳は白い光でいっぱいになった。

                    了

まばたきの永遠 最終話

ずいぶんとゆっくりとした朝だった。洗いざらしのTシャツとジーンズに着替えて居間へ入ると、紋太が視界に飛び込んできて驚いた。椅子へ腰掛けた紋太は、ずるずるとカップラーメンをすすっていた。それを見ながら、ちょっと珍しい光景だな、と私は思った。いつもアルバイトの忙しい彼が、この時間に家にいるというのもそうだが、インスタント食品を昔から嫌っていた彼が、朝からカップラーメンを食べることがあるとは、意外だ。彼は縮れた麺を口からぶら下げたまま、目だけで私を見た。「おはよう」私は言った。紋太は、返事がわりにひとつ頷くと、再びラーメンを食べ始めた。 冷蔵庫から麦茶を取り出してコップへついでいると、ようやく食べていたものを飲み込んだ紋太が、おはよう、と言った。「朝ご飯作るの面倒だったから、我慢してこれにした。紬の分も買ってきたから」「うん。ありがとう。バイトは今日は休みなんだね」麦茶を飲みながら私は言った。「あれ、教えてなかったっけ」紋太は、私の方を振り返って言った。「今日から三連休なんだよ」へぇ、と私は頷く。「じゃあ、ゆっくり出来るね」「そうだな」紋太は立ち上がり水道の蛇口をひねると、残ったスープを排水口へ流して、カップを冷蔵庫の脇に置いてあるゴミ袋へ捨てた。二杯目の麦茶をついでソファーへ移動しようとすると、紋太が背中から呼んだので、私は足を止めて振り返った。「なに?」「今日もさ、ちょっとシナリオ作り手伝ってくれないか。どうしても最後の部分を考えなくちゃかけないからさ」「ああ、そのことなんだけどね」言いながら、私はテーブルへ戻った。「私ね、明日、家に帰ることにしたの」「え」紋太が、あからさまに驚いた顔をした。無理もない。帰ることを急に決めたことなんて、今までに一度もなかったのだから。「ごめん。驚いた?」「ちょっとだけな。いきなりだったから」動揺が半分残ったような表情で、紋太はあいまいに笑った。こんな顔を見たら、やっぱりもう少しだけ、ここにいようかなという気になってしまう。決心が、一瞬ぐらりと揺らいでしまう。けれど、そうもいかない。私は帰らなければならないのだ。出来るだけ早く。この夏が終わってしまう前に。帰ることを決めたのは、昨夜、部屋に戻ってからだ。月明かりに照らし出された、眠りのように静かな風景を眺めている時に、私は、いつ間にか夜風が冷たくなっていることを知った。一年に一度しかない、太陽の君臨する季節はもうすぐ終わり、次の季節がやってくる。そのことに気づいてしまったのだ。私たち三人は、いつも夏が始まる頃に集まり、そして終わる前に別れる。季節が過ぎるということは、とても寂しいことだ。過ぎる、と、終わる、とでは意味が違うが、私たちにとって、一度しかないその年の夏が終わってしまうということを考えたら、その二つは相反しない。だから、せめて次の季節を待たずに私たちは別れる。笑っていられるうちに、自分たちの中で夏を終わらせ、そして次の夏に思いを馳せる。これは、もうずいぶんと昔から、私たち三人の中に存在するルールになっていた。そしてそれは、もちろん今年の夏も例外ではない。だけど、私が帰ろうと思ったのには、他にも理由がある。紋太の小説がそれだ。彼は、この夏の私たちを物語にしたいと言っていた。だったらまず、この現実にある季節を完結させなければならない、と私は思ったのだ。私が家へ帰ることを決め、明日の朝早く、一人でここを発つ。それが、紋太の小説の、私たちにとっては最後の夏のエンディングに変わるのだ。そのことを紋太に説明すると、彼は、「なるほど」と、腑に落ちた顔をしながら頷いた。「そうか。昨日はそれが決まっていなかったから、いくら考えてもラストの部分だけ思いつかなかったんだな」うん、と私も頷く。「私が帰ってから、小説を書いてね。終わってしまう世界じゃなく、希望を感じさせる、最高作品に仕上げてね」「当然だ。まかせておけ」そう言うと、紋太は歯を見せて笑った。つられて私も笑顔になった。そうと決まると、あとの話は早かった。さっそく私は、もう必要のない着替えなどを、紋太の部屋にあった適当な段ボールへ詰め込み、近所のコンビニから自宅へ郵送してしまった。一時間くらいかけて、お世話になった部屋もきれいに掃除した。その間に紋太は、今日はごちそうにしよう、と言い残して買い物に出掛けていった。しばらくして戻ってきた彼の両手には、大きな買い物袋が二つぶら下がっていた。「それ全部、晩ごはんの材料?」居間へ入ってきた彼の手元を見るなり、私は驚いて言った。半透明の袋からは、お肉や野菜の姿がまるごと見えている。紋太はテーブルにどさりとそれをのせて、「そうだ」と嬉しそうに笑った。「今日は焼き肉をたらふく食おう」まるで光があふれる夏の午後のように、笑顔の絶えない一日だった。一人分の存在と笑い声が足りなかった分、それを埋めるように私たちはいつもよりも多めにはしゃいだ。昼間からお酒を飲み、それほど酔いも回っていないのに気分はものすごくハイになり、なにもかもが幸せに見えて、簡単なこと、考えてみたらなんでもないようなことで、私たちはけらけらと声をたてて笑った。当然だけど、明日には、今日と同じ空気はない。そして私もいない。これから紋太は、この広い家で一人で暮らしていく。そんなの、寂しいに決まっている。私だったら、耐えられないかもしれない。居間やキッチンでたてる生活の物音が一人分だけだなんて。夜、誰かがトイレや水を飲むために立ち上がる音を、眠りの中でかすかに耳にすることもないなんて。家族の暖かい言葉をうるさく感じることもないなんて本当に寂しいことだと私は思う。 だけど目の前に映る紋太は、そんな不安をみじんも顔に出さずに笑っていた。こんな時、彼の気丈さはとても痛々しく見える。本当は、紋太だって寂しく思っているに違いないのだから。私たちは、まだ日も沈んでいないうちから、晩ごはんを食べ始めた。メニューは当初の予定どおりの焼き肉だった。しかしその量と言ったら、予想通り半端ではなかった。二人で囲む大きな鉄板の物足りない部分を、大盛りの野菜や肉たちが補ってくれている感じがした。 食事中も、あらかた食べ終わった後も、私たちはずっと思い出話に花を咲かせていた。黒斗や紋太の小さかった頃の話や、私の同級生の話、音楽やドラマの話題にも少し触れたりした。とにかく、お互い話題にジャンルはなく、思いつく限り話し合い、笑い合い、時間を忘れた。あまりにそこにある空気や笑い声が完璧すぎたから、このまま永遠に夜が続くのではないか。本気で、そう思ったくらい素晴らしい時間だった。夜も更けてきた頃、紋太が思い出したように自分の部屋からアルバムを出してきて、
「久しぶりに、これを見よう」と屈託ない笑顔で言った。私たちは自分のグラスを持つと、ソファーへ移動して、さっそくアルバム鑑賞会を始めることにした。もう何度も目にしたことのある写真ばかりであったけれど、こういうものはいつ見ても楽しいものだ、と私は思う。実際、こうして紋太の隣で、めくられていく数々の思い出たちを眺めるのは楽しかった。横に並んだ幼い私たち。浜辺で、鼻先に泥をつけて微笑む真っ黒な紋太。色白で、淡い色のシャツが似合う黒斗。夜の花火。夏祭り。麦藁帽子と私。時々一緒に写っている伯父や母や父や、黒斗の家族。もう二度と会えない、愛する人達も、ここでは幸せそうに笑っている。自分たちに待っている未来がどんなものかも知らずに。だけど、それでいいのだ、と私は思う。自分に用意された未来のことを知ってしまったら、私たちはきっと、現実にある今という瞬間をよくも悪くもおろそかにしてしまうことだろう。だから、そういうものは見えなくていいし、知らなくていいことなのだ。先が混沌としているから、私たちは皆、悩み、苦しみ、悶え、そして心から笑っていられるのだから。それに、私だっていつかは死ぬ。自然の摂理と同じように、人生の先には生命を落とす瞬間が例外なく用意されていて、私も、そして紋太も、皆それにならっていく。運命なんて、そのことだけを分かっていれば十分だ。そこまでの過程は、私たちが自分たちで作り上げていくのだから。黒斗が夢の中で言っていた。可能性という名の種。経験の水で咲く花。 私はいったい、これからどのような花を咲かせるのだろう。まるで見当がつかない。だけどこれだけは言える。私の花は、きっと何事にもめげず、色あせないだろう。ひまわりのように、夢という一点へ向かって迷いなく、真っすぐ咲くに違いない。
 部屋はまだ薄暗い。この世界がまるごと眠りに落ちているように、静寂だけが青く、辺りを包み込んでいる。私は、息を詰めたまま、ソファーの上で死んだように眠っている紋太を見つめた。規則正しい寝息。眠りの中にいても、なお意識があるような上向きの眉。その寝顔からは、確かに生きているというなにかが脈々と息づいている気がする。足元にずり落ちているタオルケットをかけ直してやると、私は足元に置いてあるボストンバックを手に、物音をたてないよう、そっと玄関へ向かった。靴を履き、ドアをゆっくりとあける。外は、しっとりと濡れた空気が、漂うように朝日の訪れを待っていた。 大きく息を吸って、歩きだす。靴音が、波紋のように静寂を揺らしていた。少し歩くと、ふと誰かに呼ばれた気がして、私は立ち止まった。振り返ると、大黒家の背の低い門や、庭の緑、カーテンがしっかりとかかった窓が、濃い青のフィルーターを重ねたように全てが同じ色で視界に映った。その美しい風景を焼き付けたくて、私はカメラのシャッターを切るように、まばたきを繰り返した。そして何度目かで、ありがとう、と呟くようにささやくと、私は踵を返し、再び歩きだしていた。
               エピローグへ続く